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発して歓喜せん」と。已上
 『涅槃経』に言わく(師子吼菩薩品)、「善男子。大慈大悲を名づけて「仏性」とす。何を以ての故に。大慈大悲は常に菩薩に随うこと、影の形に随うが如し。一切衆生、畢に定んで当に大慈大悲を得べし。是の故に説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。大慈大悲は名づけて「仏性」とす。仏性は名づけて「如来」とす。大喜大捨を名づけて「仏性」とす。何を以ての故に。菩薩摩訶薩は、若し二十五有に能わずは、則ち阿耨多羅三藐三菩提を得ること能わず。諸の衆生、畢に当に得べきを以ての故に、是の故に説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。大喜大捨は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり。仏性は「大信心」と名づく。何を以ての故に。信心を以ての故に、菩薩摩訶薩は則ち能く檀波羅蜜乃至般若波羅蜜を具足せり。一切衆生は畢に定んで当に大信心を得べきを以ての故に、是の故に説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。大信心は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり。仏性は「一子地」と名づく。何を以ての故に。一子地の因縁を以ての故に、菩薩は則ち一切衆生に於いて平等心を得たり。一切衆生は畢に定んで当に一子地を得べきが故に、是の故に説きて「一切衆生悉有仏性」と言えるなり。一子地は即ち是れ仏性なり。仏性は即ち是れ如来なり」と。已上
 又言わく(迦葉菩薩品)、「或いは阿耨多羅三藐三菩提を説く、信心を因とす。是れ菩提の因、復た無量なりと雖も、若し信心を説けば、則ち已に摂尽しぬ」と。已上