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汚し、瞋憎の心、常に能く法財を焼く。急作急修して頭燃を灸うが如くすれども、衆て「雑毒雑修の善」と名づく、亦「虚仮諂偽の行」と名づく、「真実の業」と名づけざるなり。此の虚仮雑毒の善を以て無量光明土に生まれんと欲する、此れ必ず不可なり。何を以ての故に。正しく、如来、菩薩の行を行じたまいし時、三業の所修、乃至一念・一刹那も、疑蓋、雑わること無きに由りてなり。斯の心は即ち如来の大悲心なるが故に、必ず報土の正定の因と成る。如来、苦悩の群生海を悲憐して、無碍広大の浄信を以て諸有海に回施したまえり。是れを「利他真実の信心」と名づく。

 本願信心の願成就の文、『経』(大経)に言わく、「諸有の衆生、其の名号を聞きて信心歓喜せんこと乃至一念せん」と。已上
 又言わく(如来会)、「他方仏国の所有の衆生、無量寿如来の名号を聞きて、能く一念の浄信を

漢文

瞋憎之心、常能焼法財。急作急修如灸頭燃、衆名雑毒雑修之善、亦名虚仮諂偽之行、不名真実業也。以此虚仮雑毒之善欲生無量光明土、此必不可也。何以故。正由如来行菩薩行時、三業所修、乃至一念一刹那、疑蓋無雑。斯心者即如来大悲心故、必成報土正定之因。如来悲憐苦悩群生海以無碍広大浄信回施諸有海。是名利他真実信心。