巻次 信 265頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 『浄土論』(論註)に曰わく、「「云何が回向したまえる。一切苦悩の衆生を捨てずして、心に常に作願すらく、回向を首として大悲心を成就することを得たまえるが故に」(論)とのたまえり。回向に二種の相有り。一には往相、二には還相なり。往相は、己が功徳を以て一切衆生に回施したまいて、作願して共に彼の阿弥陀如来の安楽浄土に往生せしめたまうなり。還相は、彼の土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して共に仏道に向かえしめたまうなり。若しは往、若しは還、皆、衆生を抜きて生死海を渡せんが為にとのたまえり。是の故に「回向為首得成就大悲心故」と言えり」と。已上 又云わく(論註)、「浄入願心は、『論』に曰わく、「又、向に観察荘厳仏土功徳成就・荘厳仏功徳成就・荘厳菩薩功徳成就を説きつ。此の三種の成就は願心の荘厳したまえるなりと知る応し」(論)といえりと。「応知」は、此の三種の荘厳成就は、本、四十八願等の清浄の願心の荘厳したまう所なるに由りて、因浄なるが故に果浄なり。因無くして他の因の有るには非ざるなりと知る応しとなり」と。已上 又『論』(論註)に曰わく、「「出第五門は、大慈悲を以て一切苦悩の衆生を観察して、応化の身を示して、生死の園・煩悩の林の中に回入して、神通に遊戯し教化地に至る。本願力の回向を以て 紙面画像を印刷 前のページ p265 次のページ 初版p233・234へ このページの先頭に戻る