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 『大悲経』に云わく、「云何が名づけて「大悲」とする。若し専ら念仏相続して断えざれば、其の命終に随いて、定んで安楽に生ぜん。若し能く展転して相勧めて念仏を行ぜしむるは、此れ等を悉く「大悲を行ずる人」と名づく」と。」已上抄出
 光明師(善導)の云わく(般舟讃)、「唯恨むらくは、衆生の、疑うまじきを疑うことを。浄土、対面して相忤わず。弥陀の摂と不摂を論ずること莫かれ。意、専心にして回すると回せざるとに在り。乃至 或いは道わく、今より仏果に至るまで、長劫に仏を讃じて慈恩を報ぜんと。弥陀の弘誓の力を蒙らずは、何れの時、何れの劫にか娑婆を出でんと。乃至 何んが今日、宝国に至ることを期せん。実に是れ娑婆本師の力なり。若し本師知識の勧に非ずは、弥陀の浄土、云何してか入らん」と。
 又云わく(往生礼讃)、「仏世、甚だ値い難し。人、信慧有ること難し。遇たま希有の法を聞くこと、斯れ復た最も難しとす。自ら信じ人を教えて信ぜしむ、難きが中に転た更た難し。大悲、弘く普く化する、真に仏恩を報ずるに成る」と。
 又云わく(往生礼讃)、「弥陀の身色は金山の如し。相好の光明は十方を照らす。唯、念仏する有りて光摂を蒙る。当に知るべし。本願、最も強しとす。十方の如来、舌を舒べて証したまう。専ら名号を称して西方に至る。彼の華台に到りて妙法を聞く。十地の願行、自然に彰る」と。
 又云わく(観念法門)、「但、阿弥陀仏を専念する衆生有りて、彼の仏心の光、常に是の人を照らし