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 真に知りぬ。弥勒大士、等覚金剛心を窮むるが故に、龍華三会の暁、当に無上覚位を極むべし。念仏衆生は、横超の金剛心を窮むるが故に、臨終一念の夕、大般涅槃を超証す。故に「便同」(龍舒浄土文)と曰うなり。
 加之ならず、金剛心を獲る者は、則ち韋提と等しく、即ち喜・悟・信の忍を獲得すべし。是れ則ち、往相回向の真心徹到するが故に、不可思議の本誓に藉るが故なり。

 禅宗の智覚、念仏行者を讃じて云わく(楽邦文類)、「奇なるかな。仏力難思なれば、古今も未だ有らず」と。
 律宗の元昭師(元照)の云わく(楽邦文類)、「鳴呼、教観に明らかなること、熟か智者(智顗)に如かんや。終に臨みて『観経』を挙し、浄土を讃じて長く逝きんき。法界に達せること、熟か杜順に如かんや。四衆を勧め、仏陀を念じて勝相を感じて西に邁きき。禅に参わり性を見ること、熟か高玉・智覚に如かんや。皆、社を結び仏を念じて、倶に上品に登りき。業儒、才有る、熟か劉(劉程子)・雷(雷次宗)・柳子厚・白楽天に如かんや。然るに皆、筆を秉り誠を書して彼の土に生

漢文

真知。弥勒大士、窮等覚金剛心故、龍華三会之暁、当極無上覚位。念仏衆生、窮横超金剛心故、臨終一念之夕、超証大般涅槃。故曰便同也。
加之獲金剛心者則与韋提等即可獲得喜悟信之忍。是則往相回向之真心徹到故、藉不可思議之本誓故也。