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 又言わく(梵行品)、「「善男子。我が言う所の如し、「阿闍世王の為に涅槃に入らず。」是くの如きの密義、汝、未だ解くこと能わず。何を以ての故に。我、「為」と言うは一切凡夫、「阿闍世」は普く及び一切、五逆を造る者なり。又復「為」は即ち是れ一切有為の衆生なり。我、終に無為の衆生の為にして世に住せず。何を以ての故に。夫れ無為は衆生に非ざるなり。「阿闍世」は即ち是れ煩悩等を具足せる者なり。又復「為」は即ち是れ仏性を見ざる衆生なり。若し仏性を見んものには、我、終に為に久しく世に住せず。何を以ての故に。仏性を見る者は衆生に非ざるなり。「阿闍世」は即ち是れ一切、未だ阿耨多羅三藐三菩提心を発せざる者なり。乃至 又復「為」は名づけて「仏性」とす。「阿闍」は名づけて「不生」とす。「世」は怨に名づく。仏性を生ぜざるを以ての故に則ち煩悩の怨生ず。煩悩の怨生ずるが故に仏性を見ざるなり。煩悩を生ぜざるを以ての故に則ち仏性を見る。仏性を見るを以ての故に則ち大般涅槃に安住することを得。是れを「不生」と名づく。是の故に名づけて「阿闍世」とす。善男子。「阿闍」は不生に名づく。不生は「涅槃」と名づく。「世」は世法に名づく。「為」は不汚に名づく。世の八法を以て汚さざる所なるが故に無量無辺阿僧祇劫に涅槃に入らずと。是の故に我、「阿闍世の為に無量億劫に涅槃に入らず」と言えり。善男子。如来の密語不可思議なり。仏・法・衆僧、亦不可思議なり。菩薩摩訶薩、亦不可