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思議なり。大涅槃経、亦不可思議なり。」
 爾の時に世尊大悲導師、阿闍世王の為に月愛三昧に入れり。三昧に入り已りて大光明を放つ。其の光、清涼にして、往きて王身を照らしたまうに、身の瘡即ち愈えぬ。乃至
 王白して言わまく、「耆婆。彼は天中天なり。何の因縁を以て斯の光明を放ちたまうぞや」と。
 「大王。今、是の瑞相は、及以び王の為に相似たり。先ず言わまく、世に良医の身心を療治するもの無きが故に、此の光を放ちて先ず王身を治す。然うして後に心に及ぶ。」
 王の、耆婆に言わまく、「如来世尊、亦見たてまつらんと念うをや」と。
 耆婆答えて言わく、「譬えば、一人して七子有らん。是の七子の中に病に遇えば、父母の心、平等ならざるに非ざれども、然るに病子に於いて、心則ち偏に重きが如し。大王。如来も亦爾なり。諸の衆生に於いて平等ならざるに非ざれども、然るに罪者に於いて心則ち偏に重し。放逸の者に於いて、仏則ち慈念したまう。不放逸の者は、心則ち放捨す。何等をか名づけて「不放逸の者」とすると。謂わく、六住の菩薩なりと。大王。諸仏世尊、諸の衆生に於いて、種姓・老少中年・貧富・時節・日月星宿・工巧・下賤・僮僕・婢使を観そなわさず。唯、衆生の善心有る者を観そなわす。若し善心有れば、則便ち慈念したまう。大王、当に知るべし。是くの如きの瑞相は、即ち是れ、如来、月愛三昧に入りて放つ所の光明なり」と。
 王即ち問うて言わまく、「何等をか名づけて「月愛三昧」とする」と。