巻次 証 325頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 地の益なり。則ち是れ必至補処の願より出でたり。 亦「一生補処の願」と名づく。亦「還相回向の願」と名づくべきなり。『註論』(論註)に顕れたり。故に願文を出ださず。『論の註』を披くべし。 『浄土論』に曰わく、「出第五門は、大慈悲を以て一切苦悩の衆生を観察して、応化の身を示す。生死の園・煩悩の林の中に回入して、神通に遊戯して教化地に至る。本願力の回向を以ての故に。是れを「出第五門」と名づく」と。已上 『論註』に曰わく、「還相は、彼の土に生じ已りて、奢摩他・毘婆舎那・方便力成就することを得て、生死の稠林に回入して、一切衆生を教化して、共に仏道に向かえしむるなり。若しは往、若しは還、皆、衆生を抜いて生死海を渡せんが為なり。是の故に「回向を首として大悲心を成就することを得るが故に」(論)と言えり」と。 又言わく(論註)、「「即ち彼の仏を見たてまつれば、未証浄心の菩薩、畢竟じて平等法身を得 漢文 則是出於必至補処之願。亦名一生補処之願。亦可名還相回向之願也。顕『註論。』故不出願文。可披『論註。』 紙面画像を印刷 前のページ p325 次のページ 初版p284・285へ このページの先頭に戻る