巻次 真仏土 369頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 光明寺の和尚(善導)の云わく(玄義分)、「問うて曰わく、弥陀浄国は、当、是れ報なりや、是れ化なりとやせん。 答えて曰わく、是れ報にして化に非ず。云何が知ることを得る。 『大乗同性経』に説くが如し、「西方の安楽阿弥陀仏は、是れ報仏・報土なり」と。 又『無量寿経』に云わく、「法蔵比丘、世饒王仏の所に在して、菩薩の道を行じたまいし時、四十八願を発して一一の願に言わく、「若し我、仏を得んに、十方の衆生、我が名号を称して、我が国に生まれんと願ぜん。下、十念に至るまで、若し生まれずは、正覚を取らじ」」と。今既に成仏したまえり。即ち是れ酬因の身なり。 又『観経』の中に、上輩三人、命終の時に臨みて、皆、「阿弥陀仏及び化仏、「与に」此の人を来迎す」と言えり。然るに、報身、化を兼ねて共に来たりて手を授くと。故に名づけて「与」とす。此の文証を以ての故に知りぬ、是れ報なりと。 然るに報・応二身とは眼・目の異名なり。前には「報」を翻じて「応」と作る。後には「応」を 紙面画像を印刷 前のページ p369 次のページ 初版p318へ このページの先頭に戻る