巻次
真仏土
370頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

翻じて「報」と作る。凡そ「報」と言うは、因行虚しからず、定んで来果を招く。果を以て因に応ず。故に名づけて「報」とす。又、三大僧祇の所修の万行、必定して菩提を得べし。今既に道成ぜり。即ち是れ応身なり。斯れ乃ち過・現の諸仏、三身を弁立す。斯れを除きて已外は更に別の体無さず。縦使い無窮の八相・名号塵沙なり、体に剋して、而うして論ぜば、衆て化に帰して摂す。今、彼の弥陀、現に是れ報なりと。
 問うて曰わく、既に「報」と言わば、報身常住にして永く生滅無し。何が故ぞ、『観音授記経』に説かく、「阿弥陀仏、亦入涅槃の時有り」と。此の一義、若為が通釈せんや。
 答えて曰わく、入・不入の義は、唯是れ諸仏の境界なり。尚、三乗浅智の闚う所に非ず。豈に況んや小凡、輒く能く知らんや。然りと雖も、必ず知らんと欲わば、敢えて仏経を引きて、以て明証とせん。
 何とならば、『大品経』の「涅槃非化品」の中に説きて云うが如し。「仏、須菩提に告げたまわく、「汝が意に於いて云何。若し化人有りて化人を作す。是の化、頗る実事有りや不や。空しき者なりや不や。」
 須菩提の言さく、「不や。世尊。」
 仏、須菩提に告げたまわく、「色即ち是れ化なり。受・想・行・識即ち是れ化なり。乃至一切種智即ち是れ化なり。」