巻次 化本 388頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 「若有合者名為麁想」(同)と言えり。是れ定観成じ難きことを顕すなり。 「於現身中得念仏三昧」(同)と言えり。即ち是れ定観成就の益は、念仏三昧を獲るを以て観の益とすることを顕す。即ち観門を以て方便の教とせるなり。 「発三種心即便往生」(同)と言えり。又「復有三種衆生当得往生」(同)と言えり。此れ等の文に依るに、三輩に就いて三種の三心有り、復た二種の往生有り。 良に知りぬ、此れ乃し此の『経』(同)に顕彰隠密の義有ることを。二経の三心、将に一異を談ぜんとす。善く思量すべきなり。『大経』・『観経』、顕の義に依れば異なり、彰の義に依れば一なり。知るべし。 爾れば光明寺の和尚(善導)の云わく(玄義分)、「然るに、娑婆の化主、其の請に因るが故に即ち広く浄土の要門を開く。安楽の能人の別意の弘願を顕彰す。其れ「要門」とは即ち此の『観経』の定散二門、是れなり。「定」は即ち慮を息めて、以て心を凝らす。「散」は即ち悪を 漢文 言「若有合者名為麁想。」是顕定観難成也。言「於現身中得念仏三昧。」即是顕定観成就之益以獲念仏三昧為観益。即以観門為方便之教也。言「発三種心即便往生。」又言「復有三種衆生当得往生。」依此等文、就三輩有三種三心、復有二種往生。良知、此乃此『経』有顕彰隠密之義。二経三心、将談一異。応善思量也。『大経』『観経』依顕義異、依彰義一也。可知。 紙面画像を印刷 前のページ p388 次のページ 初版p332・333へ このページの先頭に戻る