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廃して、以て善を修す。此の二行を回して往生を求願せよとなり。「弘願」と言うは、『大経』の説の如し」といえり。
 又云わく(玄義分)、「今此の『観経』は、即ち観仏三昧を以て宗とす、亦、念仏三昧を以て宗とす。一心に回願して浄土に往生するを体とすと。
 「教の大小」と言うは、問うて曰わく、此の『経』は、二蔵の中には何れの蔵にか摂する、二教の中には何れの教にか収むるや。
 答えて曰わく、今此の『観経』は菩薩蔵に収む、頓教の摂なり」と。
 又云わく(序分義)、「又「如是」(観経)と言うは、即ち此れは法を指す。定散両門なり。是れ即ち定むる辞なり。機行、必ず益す。此れは如来の所説の言、錯謬無きことを明かす。故に「如是」と名づく。又「如」と言うは、衆生の意の如しとなり。心の所楽に随いて、仏、即ち之を度したまう。機教相応せるを、復た称して「是」とす。故に「如是」と言う。又「如是」と言うは、如来の所説を明かさんと欲す。漸を説くことは漸の如し、頓を説くことは頓の如し。相を説くこと相の如し、空を説くこと空の如し。人法を説くこと人法の如し、天法を説くこと天法の如し。小を説くこと小の如し、大を説くこと大の如し。凡を説くこと凡の如し、聖を説くこと聖の如し。