巻次 化本 393頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 乃至 三には回向発願心。所作の一切の善根、悉く皆回して往生を願ず。故に「回向発願心」と名づく。此の三心を具して必ず生を得るなり。若し一心少けぬれば、即ち生を得ず。『観経』に具に説くが如し。知るべしと。乃至 又、菩薩は、已に生死を勉れて、所作の善法、回して仏果を求む。即ち是れ自利なり。衆生を教化して未来際を尽くす。即ち是れ利他なり。然るに今の時の衆生、悉く煩悩の為に繫縛せられて、未だ悪道生死等の苦を勉れず。縁に随いて行を起こして、一切の善根、具に速やかに回して、阿弥陀仏国に往生せんと願ぜん。彼の国に到り已りて、更に畏るる所無けん。上の如きの四修、自然任運にして、自利・利他、具足せざること無しと知るべし」と。 又云わく(往生礼讃)、「若し専を捨てて雑業を修せんと欲する者は、百は時に希に一二を得。千は時に希に五三を得。何を以ての故に。乃し雑縁乱動す。正念を失するに由るが故に。仏の本願と相応せざるが故に。教と相違せるが故に。仏語に順ぜざるが故に。係念相続せざるが故に。憶想間断するが故に。回願慇重真実ならざるが故に。貪瞋・諸見の煩悩来たり間断するが故に。慙愧・懺悔の心有ること無きが故に。 紙面画像を印刷 前のページ p393 次のページ 初版p336・337へ このページの先頭に戻る