巻次 化本 392頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 又、此の正の中に就いて、復た二種有り。一には、一心に弥陀の名号を専念して、行住座臥に時節の久近を問わず、念念に捨てざるは、是れを「正定の業」と名づく。彼の仏願に順ずるが故に。若し礼・誦等に依るを、即ち名づけて「助業」とす。此の正・助二行を除きて已外の自余の諸善は、悉く「雑行」と名づく。若し前の正・助二行を修するは、心、常に親近し憶念断えず。名づけて「無間」とするなり。若し後の雑行を行ずるは、即ち心、常に間断す。回向して生を得べしと雖も、衆て「疎雑の行」と名づくるなり。故に「深心」(観経)と名づくと。 「三者回向発願心。」(観経)「回向発願心」と言うは、過去及以び今生の身口意業に修する所の世・出世の善根及び他の一切の凡聖の身口意業に修する所の世・出世の善根を随喜して、此の自他所修の善根を以て、悉く皆、真実の深信の心の中に回向して彼の国に生まれんと願ず。故に「回向発願心」と名づくるなり」と。 又云わく(序分義)、「定善は観を示す縁なり」と。 又云わく(序分義)、「散善は行を顕す縁なり」と。 又云わく(散善義)、「浄土の要、逢い難し」と。文 抄出 又云わく(往生礼讃)、「『観経』の説の如し。先ず三心を具して、必ず往生を得。何等をか三とする。一には至誠心。謂わゆる、身業に彼の仏を礼拝す、口業に彼の仏を讃嘆し称揚す、意業に彼の仏を専念し観察す。凡そ三業を起こすに、必ず真実を須いるが故に、「至誠心」と名づくと。 紙面画像を印刷 前のページ p392 次のページ 初版p335・336へ このページの先頭に戻る