巻次 化本 394頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 懺悔に三品有り。乃至 上中下なり。上品の懺悔は、身の毛孔の中より血を流し、眼の中より血出だすをば、「上品の懺悔」と名づく。中品の懺悔は、遍身に熱き汗、毛孔より出ず。眼の中より血の流るるは、「中品の懺悔」と名づく。下品の懺悔は、遍身徹り熱く、眼の中より涙出ずるをば、「下品の懺悔」と名づく。此れ等の三品、差別有りと雖も、是れ久しく解脱分の善根を種えたる人なり。今生に法を敬い、人を重くし、身命を惜しまず、乃至小罪も、若し懺すれば、即ち能く心髄に徹りて、能く此くの如く懺すれば、久近を問わず、所有の重障、皆頓ちに滅尽せしむることを致す。若し此くの如くせざれば、縦使い日夜十二時、急に走むれども、終に是れ益無し。差いて作さざる者は知りぬべしと。流涙・流血等に能わずと雖も、但能く真心徹到するは、即ち上と同じ」と。已上 又云わく(観念法門)、「総て余の雑業の行者を照摂すと論ぜず」と。 又云わく(法事讃)、「如来、五濁に出現して、宜しきに随いて方便して群萌を化したまう。或いは多聞にして得度すと説き、或いは少しき解りて三明を証すと説く。或いは福恵双べて障を除くと教え、或いは禅念して座して思量せよと教う。種種の法門、皆、解脱す」と。 又云わく(般舟讃)、「万劫、功を修せんこと、実に続き難し。一時に煩悩、百たび千たび間わる。若し娑婆にして法忍を証せんことを待たば、六道にして恒沙の劫にも未だ期あらじ。門門不同なるを「漸教」と名づく。万劫苦行して無生を証す。畢命を期として専ら念仏すべし。須臾に命 紙面画像を印刷 前のページ p394 次のページ 初版p337・338へ このページの先頭に戻る