巻次 化本 397頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 は、一には即往生、二には便往生なり。「便往生」は即ち是れ胎生辺地・双樹林下の往生なり。「即往生」は即ち是れ報土化生なり。 亦此の『経』(観経)に真実有り。斯れ乃ち金剛の真心を開きて、摂取不捨を顕さんと欲す。然れば、濁世能化の釈迦善逝、至心信楽の願心を宣説したまう。報土の真因は信楽を正とするが故なり。 是を以て、『大経』には「信楽」と言えり。如来の誓願、疑蓋雑わること無きが故に「信」と言えるなり。『観経』には「深心」と説けり。諸機の浅信に対せるが故に「深」と言えるなり。『小本』(阿弥陀経)には「一心」と言えり。二行、雑わること無きが故に「一」と言えるなり。復た一心に就いて、深有り、浅有り。 漢文 二者便往生。便往生者即是胎生辺地双樹林下往生也。即往生者即是報土化生也。亦此『経』有真実。斯乃開金剛真心、欲顕摂取不捨。然者濁世能化釈迦善逝、宣説至心信楽之願心。報土真因信楽為正故也。是以『大経』言「信楽。」如来誓願、疑蓋無雑故言信也。『観経』説「深心。」対諸機浅信故言深也。『小本』言「一心。」二行無雑故言一也。復就一心、有深、有浅。深者利他真実之心是也。浅者定散自利之心是也。 紙面画像を印刷 前のページ p397 次のページ 初版p339・340へ このページの先頭に戻る