巻次 化本 398頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 「深」は利他真実の心、是れなり。「浅」は定散自利の心、是れなり。 宗師(善導)の意に依るに、「心に依りて勝行を起こせり。門、八万四千に余れり。漸・頓則ち各おの所宜に称いて、縁に随う者、則ち皆、解脱を蒙れり」(玄義分)と云えり。 然るに常没の凡愚、定心、修し難し。息慮凝心の故に。散心、行じ難し。廃悪修善の故に。 是を以て立相住心、尚、成じ難きが故に、「縦い千年寿を尽くすとも、法眼、未だ曾て開けず」(定善義)と言えり。何に況んや無相離念、誠に獲難し。 故に「如来、懸かに末代罪濁の凡夫を知ろしめす、立相住心、尚、得ること能わじと。何に況んや相を離れて事を求むるは、術通無き人の、空に居て舎を立てんが如似きなり」(定善義)と言えり。 「門余」と言うは、「門」は即ち八万四千の仮門なり。 漢文 依宗師意、云「依心起於勝行。門余八万四千。漸頓則各称所宜、随縁者則皆蒙解脱。」然常没凡愚、定心難修。息慮凝心故。散心難行。廃悪修善故。是以立相住心尚難成故、言「縦尽千年寿、法眼未曽開。」何況無相離念、誠難獲。故言「如来、懸知末代罪濁凡夫、立相住心尚不能得。何況離相而求事者、如似無術通人居空立舎也。」言門余者、門者即八万四千仮門也。余者 紙面画像を印刷 前のページ p398 次のページ 初版p340・341へ このページの先頭に戻る