巻次 化本 402頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 り。知るべし。 凡そ浄土の一切諸行に於いて、綽和尚(道綽)は「万行」(安楽集)と云い、導和尚(善導)は「雑行」(散善義)と称す。感禅師(懐感)は「諸行」(群疑論)と云えり。信和尚(源信・往生要集)は感師に依れり。空聖人(源空・選択集)は導和尚に依りたまうなり。経家に拠りて師釈を披くに、雑行の中の雑行雑心・雑行専心・専行雑心なり。亦正行の中の専修専心・専修雑心・雑修雑心は、此れ皆、辺地・胎宮・懈慢界の業因なり。故に極楽に生まると雖も三宝を見たてまつらず。仏心の光明、余の雑業の行者を照摂せざるなり。仮令の誓願、良に由有るかな。仮門の教、欣慕の釈、是れ弥いよ明らかなり。 二経の三心、顕の義に依れば異なり、彰の義に依れば一なり。三心一異の義、答え竟りぬと。 又問う。『大本』(大経)と『観経』の三心と、『小 漢文 凡於浄土一切諸行、綽和尚云「万行、」導和尚称「雑行。」感禅師云「諸行。」信和尚依感師。空聖人依導和尚也。拠経家披師釈、雑行之中、雑行雑心・雑行専心・専行雑心。亦正行之中、専修専心・専修雑心・雑修雑心、此皆辺地・胎宮・懈慢界業因。故雖生極楽不見三宝。仏心光明不照摂余雑業行者也。仮令之誓願、良有由哉。仮門之教、欣慕之釈、是弥明也。二経之三心、依顕之義異也、依彰之義一也。三心一異之義、答竟。又問。『大本』『観経』三心与『小本』一 紙面画像を印刷 前のページ p402 次のページ 初版p343・344へ このページの先頭に戻る