巻次 化本 408頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 乃し正法を聞くことを獲ん」と。已上 『無量寿如来会』に言わく、「若し我成仏せんに、無量国の中の所有の衆生、我が名を説かんを聞きて、以て己が善根として極楽に回向せん。若し生まれずは、菩提を取らじ」と。已上 『平等覚経』に言わく、「是の功徳有るに非ざる人は、是の経の名を聞くことを得ず。唯、清浄に戒を有てる者、乃し還りて斯の正法を聞く。悪と憍慢と蔽と懈怠とは、以て此の法を信ずること難し。宿世の時に仏を見たてまつれる者、楽みて世尊の教を聴聞せん。人の命、希に得べし。仏は世に在せども、甚だ値い難し。信慧有りて致るべからず。若し聞見せば、精進して求めよ」と。已上 『観経』に言わく、「仏、阿難に告げたまわく、「汝、好く是の語を持て。是の語を持てというは、即ち是れ無量寿仏の名を持てとなり」と。」已上 『阿弥陀経』に言わく、「少善根福徳の因縁を以て、彼の国に生まるることを得べからず。阿弥陀仏を説くを聞きて、名号を執持せよ」と。已上 光明寺の和尚(善導)の云わく(定善義)、「自余の衆行、是れ「善」と名づくと雖も、若し念仏に比ぶれば、全く比校に非ざるなり。是の故に諸経の中に処処に広く念仏の功能を讃じたり。『無量寿経』の四十八願の中の如き、唯、弥陀の名号を専念して生を得と明かす。 又『弥陀経』の中の如し。「一日・七日、弥陀の名号を専念して生を得」と。又、十方恒沙の 紙面画像を印刷 前のページ p408 次のページ 初版p348へ このページの先頭に戻る