巻次
化本
412頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

業、若し正信無ければ、回向願求するに、皆、少善とす。往生の因に非ず。若し此の『経』(阿弥陀経)に依りて名号を執持せば、決定して往生せん。即ち知りぬ、称名は是れ多善根・多福徳なりと。昔、此の解を作しし。人、尚遅疑しき。近く襄陽の石碑の『経』の本文を得て、理、冥符せり。始めて深信を懐く。彼に云わく、「善男子・善女人、阿弥陀仏を説くを聞きて、一心にして乱れず名号を専称せよ。称名を以ての故に諸罪消滅す。即ち是れ多功徳・多善根・多福徳因縁なり」と。」已上
 孤山(智円)の『疏』(阿弥陀経疏)に云わく、「「執持名号」(阿弥陀経)は、「執」は、謂わく、執受なり。「持」は、謂わく、住持なり。信力の故に、執受、心に在り。念力の故に、住持して忘れず」と。已上
 『大本』(大経)に言わく、「如来の興世、値い難く見たてまつり難し。諸仏の経道、得難く聞き難し。菩薩の勝法・諸波羅蜜、聞くことを得ること亦難し。善知識に遇い、法を聞き能く行ずること、此れ亦難しとす。若し斯の経を聞きて信楽受持すること、難の中の難、此れに過ぎて難きは無けん。是の故に我が法、是くの如く作しき、是くの如く説く、是くの如く教う。当に信順して法の如く修行すべし」と。已上
 『涅槃経』(迦葉菩薩品)に言わく、「経の中に説くが如し。一切梵行の因は善知識なり。一切梵行の因、無量なりと雖も、善知識を説けば則ち已に摂尽しぬ。我が所説の如し。一切悪行は邪