巻次 化本 411頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 り已来、常に此くの如し。是れ今生に始めて自ら悟るに非ず。正しく好き強縁に遇わざるに由りて、輪回して得度し難からしむることを致す」と。 又云わく(法事讃)、「種種の法門、皆解脱すれども、念仏して西方に往くに過ぎたるは無し。上、一形を尽くし、十念・三念・五念に至るまで、仏、来迎したまう。直ちに弥陀の弘誓重なれるを為て、凡夫念ずれば即生せしむることを致す」と。 又云わく(般舟讃)、「一切如来、方便を設けたまうこと、亦今日の釈迦尊に同じ。機に随いて法を説きたまうに、皆、益を蒙る。各おの悟解を得て真門に入れと。乃至 仏教多門にして八万四なり。正しく衆生の機不同なるが為なり。安身常住の処を覓めんと欲わば、先ず要行を求めて真門に入れ」と。 又云わく〔智昇師『礼懺儀』の文に云わく、「光明寺(善導)の『礼賛』なり。」〕(往生礼讃)、「爾、此日、自ら諸方の道俗を見聞するに、解行不同にして専修に異有り。但、意を専らして作さしむれば、十は即ち十ながら生ず。雑を修するは至心ならざれば、千が中に一も無し」と。已上 元照律師の『弥陀経の義疏』に云わく、「如来、持名の功勝れたることを明かさんと欲す。先ず余善を貶して少善根とす。謂わゆる、布施・持戒・立寺・造像・礼誦・座禅・懺念苦行・一切福 紙面画像を印刷 前のページ p411 次のページ 初版p350・351へ このページの先頭に戻る