巻次 化本 422頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 水を覓むるに、水、得べからず。智無きが如きの故に」と。 『大集の月蔵経』に云わく、「仏滅度の後の第一の五百年には、我が諸の弟子、慧を学ぶこと堅固を得ん。第二の五百年には定を学ぶこと堅固を得ん。第三の五百年には多聞読誦を学ぶこと堅固を得ん。第四の五百年には塔寺を造立し福を修し、懺悔すること堅固を得ん。第五の五百年には白法隠滞して多く諍訟有らん。微しき善法有りて堅固を得ん。」 今の時の衆生を計るに、即ち、仏、世を去りたまいて後の第四の五百年に当たれり。正しく是れ懺悔し福を修し、仏の名号を称すべき時の者なり。一念、阿弥陀仏を称するに、即ち能く八十億劫の生死の罪を除却せん。一念、既に爾なり。況んや常念に修するは即ち是れ恒に懺悔する人なり。」 又云わく(安楽集)、「経の住滅を弁ぜば、謂わく、釈迦牟尼仏一代、正法五百年、像法一千年、末法一万年には衆生減じ尽き諸経悉く滅せん。如来、痛焼の衆生を悲哀して、特に此の経を留めて止住せんこと百年ならん」と。 又云わく(安楽集)、「『大集経』に云わく、「我が末法の時の中の億億の衆生、行を起こし道を修せんに、未だ一人も得る者有らじ」と。当今、末法にして、是れ五濁悪世なり。唯、浄土の一門有りて通入すべき路なり」と。已上 爾れば穢悪濁世の群生、末代の旨際を知らず、僧尼 漢文 爾者穢悪濁世群生、不知末代旨際、毀 紙面画像を印刷 前のページ p422 次のページ 初版p359・360へ このページの先頭に戻る