巻次 化本 428頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 此の文の中に八重の無価有り。謂わゆる、如来像、縁覚、声聞、及び前三果、得定の凡夫、持戒、破戒、無戒名字、其れ次いでの如し。名づけて「正・像・末の時の無価の宝」とするなり。初めの四は正法時、次の三は像法時、後の一は末法時なり。此れに由りて明らかに知りぬ、破戒、無戒、咸く是れ真宝なりと。 問う。伏して前の文を観るに、破戒、名字、真宝ならざること莫し。何が故ぞ、『涅槃』と『大集経』に、「国王・大臣、破戒の僧を供すれば、国に三災起こり、遂に地獄に生ず」と。破戒、尚爾なり。何に況んや無戒をや。而爾るに如来、一つ破戒に於いて、或いは毀り、或いは讃む。豈に一聖の説に両判の失有るをや。 答う。此の理、然らず。『涅槃』等の経に且く正法の破戒を制す。像・末代の比丘には非ず。其の名、同じと雖も、時に異有り。時に随いて制許す。是れ大聖の旨破なり。世尊に於いて両判の失無さず。 問う。若し爾らば、何を以てか知らん、『涅槃』等の経は、但、正法所有の破戒を制止して、像・末の僧に非ずとは。 答う。引く所の『大集』所説の八重の真宝の如し。是れ其の証なり。皆、時に当たりて無価と為す故に。但し正法の時の破戒比丘は清浄衆を穢す。故に仏、固く禁制して衆に入れず。 然る所以は『涅槃』の第三に云わく、「如来、今、無上の正法を以て諸王・大臣・宰相・比 紙面画像を印刷 前のページ p428 次のページ 初版p363・364へ このページの先頭に戻る