巻次 化本 427頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 唯、名字の比丘有らん。此の名字を世の真宝とせん。福田無からんや。設い末法の中に持戒有らば、既に是れ怪異なり。市に虎有らんが如し。此れ誰か信ずべきや。 問う。正・像・末の事、已に衆経に見えたり。末法の名字を世の真宝とせんことは、聖典に出でたりや。 答う。『大集』の第九に云わく、「譬えば真金を無価の宝とするが如し。若し真金無くは、銀を無価の宝とす。若し銀無くは、鍮石偽宝を無価とす。若し偽宝無くは、赤白銅鉄・白錫鉛を無価とす。是くの如き、一切世間の宝なれども、仏法無価なり。若し仏宝無さずは、縁覚無上なり。若し縁覚無くは、羅漢無上なり。若し羅漢無くは、余の賢聖衆、以て無上なり。若し余の賢聖衆無くは、得定の凡夫、以て無上とす。若し得定の凡夫無くは、浄持戒を、以て無上とす。若し浄持戒無くは、漏戒の比丘を、以て無上とす。若し漏戒無くは、剃除鬚髪して身に袈裟を著たる名字比丘を無上の宝と為す。余の九十五種の異道に比するに、最も第一と為す。世の供を受くべし。物の為の初めの福田なり。何を以ての故に。能身を破る衆生、怖畏する所なるが故に。護持し養育して是の人を安置すること有らんは、久しからずして忍地を得ん」と。已上経文 紙面画像を印刷 前のページ p427 次のページ 初版p362・363へ このページの先頭に戻る