巻次 化本 426頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 百年の後の正法滅尽せん」と。故に知りぬ。已後は是れ末法に属す。 問う。若し爾らば、今の世は正しく何れの時にか当たるや。 答う。滅後の年代、多説有りと雖も、且く両説を挙ぐ。 一には、法上師等、『周異』の説に依りて言わく、「仏、第五の主・穆王満五十一年壬申に当たりて入滅したまう」と。若し此の説に依らば、其の壬申より我が延暦二十年辛の巳に至るまで一千七百五十歳なりと。 二には、費長房等、魯『春秋』に依らば、「仏、周の第二十の主・匡王班四年壬子に当たりて入滅したまう。」若し此の説に依らば、其の壬子より我が延暦二十年辛の巳に至るまで一千四百十歳なり。故に今の時の如きは是れ最末の時なり。彼の時の行事、既に末法に同ぜり。 然れば則ち末法の中に於いては、但、言教のみ有りて行証無けん。若し我が法有らば破戒有るべし。既に戒法無し。何の戒を破せんに由りてか、破戒有らんや。破戒、尚無し。何に況んや持戒をや。故に『大集』に云わく、「仏涅槃の後、無戒、州に満たん」と云云。 問う。諸経律の中に広く破戒を制して衆に入ることを聴さず。破戒、尚爾なり。何に況んや無戒をやと。而るに今重ねて末法を論ずるに戒無し。豈に瘡無くして自ら以て傷まんやと。 答う。此の理、然らず。正・像・末法の所有の行事、広く諸経に載せたり。内外の道俗、誰か披諷せざらん。豈に自身の邪活を貪求して、持国の正法を隠蔽せんや。但し今論ずる所の末法には、 紙面画像を印刷 前のページ p426 次のページ 初版p362へ このページの先頭に戻る