巻次
化本
431頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

し。此れ死するものと雖も、人、故らに之を取る。亦麝香の、復に用有るが如し」と云云。
 既に「迦羅林の中に一の鎮頭迦樹有り」(涅槃経)と云えり。此れは像運、已に衰えて、破戒濁世に、僅かに一二、持戒の比丘有らんに喩うるなりと。又云わく、「破戒の比丘、是れ死せる人なりと雖も、猶麝香の死して用有るが如し。」(十輪経)衆生の善知識と為ること、明らかに知りぬ。此の時、漸く破戒を許して世の福田とす。前の『大集』に同じと。
 次に像季の後、全く是れ戒無し。仏、時運を知ろしめして、末俗を済わんが為に名字の僧を讃めて世の福田と為したまえりと。
 又『大集』の五十二に云わく、「若し後の末世に我が法の中に於いて、剃除鬚髪し身に袈裟を著たらん名字の比丘、若し壇越有りて供養を捨てば、無量の福を得ん」と。
 又『賢愚経』に言わく、「若し壇越、将来末世に、法乗、尽きんと欲せんに、正しく妻を蓄え、子を侠ましめん。四人以上の名字僧衆、当に礼敬せんこと、舎利弗・大目連等の如くすべし」と。