巻次
化末
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 『仏本行集経』第四十二巻に「優婆斯那品」〔闍那崛多の訳〕に言わく、「爾の時に彼の三迦葉兄弟、一の外甥螺髻梵志有り。其の梵志を「優婆斯那」と名づく。乃至 恒に二百五十の螺髻梵志弟子と共に仙道を修学しき。彼、其の舅迦葉三人を聞くに、諸の弟子、彼の大沙門の辺に往詣して、阿舅、鬚髪を剃除し袈裟衣を着ると。見已りて、舅に向かいて偈を説きて言わく、「舅等、虚しく火を祀ること百年、亦復空しく彼の苦行を修しき。今日、同じく此の法を捨つること、猶、蛇の故き皮を脱ぐが如くするをや。」
 爾の時に彼の舅迦葉三人、同じく共に偈を以て其の外甥優波斯那に報じて是くの如きの言を作さく、「我等、昔、空しく火神を祀りて、亦復徒に苦行を修しき。我等、今日、此の法を捨つること、実に蛇の、故き皮を脱ぐが如くす」と。」抄出
 『起信論』に曰わく、「或いは衆生有りて、善根力無ければ則ち諸魔・外道・鬼神の為に誑惑せらる。若しは座中にして形を現じて恐怖せしむ。或いは端正の男女等の相を現ず。当に唯心の境界を念ずべし。則ち滅して、終に悩を為さず。或いは天像・菩薩像を現じ、亦、如来像の相好具足せるを作して、若しは陀羅尼を説き、若しは布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧を説き、或いは「平等・空・無相・無願・無怨無親・無因無果・畢竟空寂、是れ真の涅槃なり」と説かん。或いは人をして宿命過去の事を知らしめ、亦、未来の事を知る。他心智を得、弁才無碍ならしむ。能く衆生をして世間の名利の事に貪著せしむ。又、人をして数しば瞋り、数しば喜ばしめ、性無常の