巻次 - 483頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 漢文 画像情報 画像情報 本文 なり。」已上 聖言、明らかに知りぬ。煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相の心行を獲れば、即ち大乗正定の聚に住せん。正定聚に住すれば、必ず滅度に至る。必ず滅度に至れば、即ち是れ常楽なり。常楽は即ち是れ大涅槃なり。則ち是れ利他教化地の果なり。是の身即ち是れ無為法身なり。無為法身即ち是れ畢竟平等身なり。畢竟平等身は即ち是れ寂滅なり。寂滅即ち是れ実相なり。実相即ち是れ法性なり。法性即ち是れ真如なり。真如即ち是れ一如なり。 爾れば、若しは因、若しは果、一事として阿弥陀如来の清浄願心の回向成就したまう所に非ざること有ること無し。因浄なるが故に果亦浄なり。知るべし。 二に「還相回向」と言うは、則ち利他教化地の益なり。即ち是れ必至補処の願より出でたり。亦「一生補処の願」と名づく。亦「還相回向の願」と名づくべし。 漢文 聖言、明知。煩悩成就凡夫生死罪濁群萌、獲往相心行即住大乗正定之聚。住正定聚、必至滅度。必至滅度、即是常楽。常楽即是大涅槃。則是利他教化地果。是身即是無為法身。無為法身即是畢竟平等身。畢竟平等身即是寂滅。寂滅即是実相。実相即是法性。法性即是真如。真如即是一如也。爾者若因若果、無有一事非阿弥陀如来清浄願心之所回向成就。因浄故果亦浄也。応知。二言還相回向者則利他教化地益也。即是出於必至補処之願。亦名一生補処之願。亦可名還相回向之願。 紙面画像を印刷 前のページ p483 次のページ 初版p407へ このページの先頭に戻る