巻次 - 564頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 能わざるが故に、因無くして無量寿仏に奉事せん。是の諸の人等、皆、昔、疑悔せしに縁りて致す所とするなり」と。乃至 仏、弥勒に告げたまわく、「是くの如し、是くの如し。若し疑悔に随いて諸の善根を種えて、仏智、乃至広大智を希求すること有らん。自らの善根に於いて信を生ずること能わず。仏の名を聞きて信心を起こすに由るが故に彼の国に生まると雖も、蓮華の中に於いて出現することを得ず。彼等の衆生、華胎の中に処すること、園苑宮殿の想の猶如し。」」乃至略出 光明寺(善導)の『釈』(定善義)に云わく、「華に含んで未だ出でず。或いは辺界に生じ、或いは宮胎に堕す」と。已上 憬興師の云わく(述文賛)、「仏智を疑うに由りて、彼の国に生まると雖も、辺地に在りて聖化の事を被らず。若し胎生せば、宜しく之を重く捨つべし」と。已上 これらの真文にて、難思往生ともうすことを、よくよくこころえさせたまうべし。康元二年三月二日書写之 愚禿親鸞 八十五歳 紙面画像を印刷 前のページ p564 次のページ 初版p475へ このページの先頭に戻る