巻次 本 635頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 天竺のことば、仏の経典をもうすなり。仏教に大乗あり、また小乗あり。みな「修多羅」ともうす。いま「修多羅」ともうすは、大乗なり。小乗にはあらず。いまの三部の経典は大乗修多羅なり。この三部大乗によるとなり。「真実功徳相」というは、「真実功徳」は、誓願の尊号なり。「相」は、かたちということばなり。「説願偈総持」というは、本願のこころをあらわすことばを、「偈」というなり。「総持」というは、智慧なり。無碍光の智慧を、「総持」ともうすなり。「与仏教相応」というは、この『浄土論』のこころは、釈尊の教勅、弥陀の誓願にあいかなえりとなり。「観彼世界相 勝過三界道」というは、かの安楽世界をみそなわすに、ほとりきわなきこと、虚空のごとし、ひろくおおきなること、虚空のごとしとたとえたるなり。 「観仏本願力 遇無空過者」というは、如来の本願力をみそなわすに、願力を信ずるひとは、むなしくここにとどまらずとなり。「能令速満足 功徳大宝海」というは、「能」はよしという、「令」はせしむという、「速」はすみやかにとしという。よく本願力を信楽する人は、すみやかにとく、功徳の大宝海を、信ずる人の、そのみに満足せしむるなり。如来の功徳のきわなくひろくおおきに、へだてなきことを、大海のみずのへだてなくみちみてるがごとしと、たとえたてまつるなり。斉朝の曇鸞和尚の真像の銘文 紙面画像を印刷 前のページ p635 次のページ 初版p518・519へ このページの先頭に戻る