巻次 本 636頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 「釈曇鸞法師者 幷州汶水県人也 魏末高斉之初猶在 神智高遠 三国知聞 洞暁衆経 独出人外 梁国天子蕭王 恒向北礼鸞菩薩 註解往生論 裁成両巻 事出釈迦才三巻浄土論也〈釈の曇鸞法師は幷州汶水県の人なり。魏の末、高斉の初、猶在しき。神智高遠にして三国に知聞す。洞らかに衆経を暁ること、独り人外に出でたり。梁国の天子蕭王、恒に北に向かいて鸞菩薩と礼す。『往生論』を註解して両巻に裁り成す。事、釈の迦才の三巻の『浄土論』に出でたるなり〉」文 「釈の曇鸞法師は幷州の汶水県の人なり。」「幷州」は、くにのななり。「汶水県」は、ところのななり。「魏の末、高斉の初、猶在す」というは、「魏末」というは、晨旦の世のななり。「末」は、すえというなり。魏の世のすえとなり。「高斉之初」は、斉という世のはじめというなり。「猶在」は、魏と斉との世に、なおいましきというなり。「神智高遠」というは、和尚の智慧すぐれていましけりとなり。「三国知聞」というは、「三国」は、魏と斉と梁と、このみつの世におわせしとなり。「知聞」というは、みつの世にしられきこえたまいきとなり。「洞暁衆経」というは、あきらかによろずの経典をさとりたまうとなり。「独出人外」というは、よろずの人にすぐれたりとなり。「梁国の天子」というは、梁の世の王というなり。蕭王のななり。「恒向北礼〈恒に北に向こうて礼したてまつる〉」というは、梁の王、つねに、曇鸞の北のかたにましましけるを、菩薩と礼したてまつりたまいけるなり。「註解往生論」というは、この『浄土論』をくわしゅう釈したまうを、『註論』 紙面画像を印刷 前のページ p636 次のページ 初版p519・520へ このページの先頭に戻る