巻次 本 637頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 ともうす論をつくりたまえるなり。「裁成両巻」というは、『註論』は二巻になしたまうなり。「釈の迦才の三巻の浄土論」というは、「釈の迦才」ともうすは、「釈」というは、釈尊の御弟子とあらわすことばなり。「迦才」は、浄土宗の祖師なり。智者にておわせし人なり。かの聖人の、三巻の『浄土論』をつくりたまえるに、この曇鸞の御ことはあらわせりとなり。唐朝光明寺の善導和尚の真像の銘文「智栄讃善導別徳云 善導阿弥陀仏化身 称仏六字 即嘆仏 即懺悔 即発願回向 一切善根荘厳浄土〈智栄、善導の別徳を讃めたまうて云わく、「善導は阿弥陀仏の化身なり。仏の六字を称せば、即ち仏を嘆ずるなり、即ち懺悔するなり、即ち発願回向なり。一切善根、浄土を荘厳するなり」〉」文 「智栄」ともうすは、震旦の聖人なり。善導の別徳をほめたまうていわく、「善導は阿弥陀仏の化身なり」とのたまえり。「称仏六字」というは、南無阿弥陀仏の六字をとなうるとなり。「即嘆仏」というは、すなわち南無阿弥陀仏をとなうるは、仏をほめたてまつるになるとなり。また「即懺悔」というは、南無阿弥陀仏をとなうるは、すなわち無始よりこのかたの罪業を懺悔するになるともうすなり。「即発願回向」というは、南無阿弥陀仏をとなうるは、すなわち安楽浄土に往生せんとおも 紙面画像を印刷 前のページ p637 次のページ 初版p520へ このページの先頭に戻る