巻次
639頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

願往生行人 命欲終時 願力摂得往生 故名摂生増上縁」文

 「言摂生増上縁者」というは、「摂生」は、十方衆生を誓願におさめとらせたまうともうすこころなり。「如無量寿経 四十八願中説」というは、如来の本願をときたまえる釈迦の御のりなりとしるべしとなり。「若我成仏」ともうすは、法蔵菩薩ちかいたまわく、もしわれ仏をえたらんにと、ときたまう。「十方衆生」というは、十方のよろずの衆生なり。すなわちわれらなり。「願生我国」というは、安楽浄刹にうまれんとねがえとなり。「称我名字」というは、われ仏をえんに、わがなをとなえられんとなり。「下至十声」というは、名字をとなえられんこと、しも、とこえせんものとなり。「下至」というは、十声にあまれるものも、聞名のものをも、往生にもらさず、きらわぬことをあらわししめすとなり。「乗我願力」というは、「乗」は、のるべしという、また智なり。智というは、願力にのせたまうとしるべしとなり。願力に乗じて安楽浄刹にうまれんとしるなり。「若不生者 不取正覚」というは、ちかいを信じたる人、もし本願の実報土にうまれずは、仏にならじとちかいたまえるみのりなり。「此即是願往生行人」というは、これすなわち往生をねがう人という。「命欲終時」というは、いのちおわらんとせんときという。「願力摂得往生」というは、大願業力摂取して往生をえしむといえるこころなり。すでに尋常のとき、