巻次
644頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

日」

 「普勧道俗 念弥陀仏」というは、「普勧」は、あまねくすすむとなり。「道俗」は、「道」にふたりあり、「俗」にふたりあり。「道」のふたりは、一には僧、二には比丘尼なり。「俗」にふたり、一には仏法を信じ行ずる男なり、二には仏法を信じ行ずる女なり。「念弥陀仏」ともうすは、尊号を称念するとなり。「能念皆見 化仏菩薩」ともうすは、「能念」は、よく名号を念ずとなり。よく念ずともうすは、ふかく信ずるなり。「皆見」というは、化仏菩薩をみんとおもう人は、みなみたてまつるなり。「化仏菩薩」ともうすは、弥陀の化仏、観音勢至等の聖衆なり。「明知称名」ともうすは、あきらかにしりぬ、仏のみなをとなうれば、「往生す」ということを、「要術とす」という。往生の要には如来のみなをとなうるにすぎたることはなしとなり。「宜哉源空」ともうすは、「宜哉」は、よしというなり。「源空」は、聖人の御名なり。「慕道化物」というは、「慕道」は、無上道をねがいしたうべしとなり。「化物」というは、「物」というは、衆生なり。「化」は、よろずのものを利益すとなり。「信珠在心」というは、金剛の信心をめでたきたまにたとえたまう。信心のたまをこころにえたる人は、生死のやみにまどわざるゆえに、「心照迷境」というなり。信心のたまをもって愚痴のやみをはらい、あきらかにてらすとなり。「疑雲永晴」というは、「疑雲」は、願力をうたがうこころを、くもにたとえたるなり。「永晴」というは、うたがうこころのくもをながくはらしぬれば、安楽浄土へかならずうまるるなり。無碍光仏の、摂取不捨の心光をもって、