巻次 末 649頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 才のものは、浄土門におもむくべしとなり。「誠知 無明長夜之大燈炬也 何悲智眼闇」というは、「誠知」は、まことにしりぬという。弥陀の誓願は、無明長夜のおおきなるともしびなり。なんぞ智慧のまなこくらしとかなしまんやと、おもえとなり。「生死大海之大船筏也 豈煩業障重」というは、弥陀の願力は、生死大海のおおきなるふね、いかだなり。極悪深重のみなりとなげくべからずとのたまえるなり。 「倩思教授恩徳 実等弥陀悲願者〈倩つら教授の恩徳を思うに、実に弥陀悲願に等しき者〉」というは、師主のおしえをおもうに、弥陀の悲願にひとしとなり。大師聖人の御おしえの恩、おもくふかきことをおもいしるべしとなり。「粉骨可報之 摧身可謝之」というは、大師聖人の御おしえの恩徳のおもきことをしりて、ほねをこにしても報ずべしとなり、身をくだきても恩徳をむくうべしとなり。よくよくこの和尚のこのおしえを御覧じしるべしと。和朝愚禿釈の親鸞が「正信偈」の文「本願名号正定業 至心信楽願為因 成等覚証大涅槃 必至滅度願成就 如来所以興出世 唯説弥陀本願海 五濁悪時群生海 応信如来如実言 能発一念喜愛心 不断煩悩得涅槃 凡聖逆謗斉回入 如衆水入海一味 摂取心光常照護 已能雖破無明闇 貪愛瞋憎之雲霧 常覆真実信心天 譬如日光覆雲霧 雲霧之下明無闇 獲信見敬得大慶 即横超截五悪趣」文 紙面画像を印刷 前のページ p649 次のページ 初版p530・531へ このページの先頭に戻る