巻次 - 684頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 「虚」は、むなしくして実ならぬなり。「仮」は、かりにして真ならぬなり。このこころは、かみにあらわせり。この信心は、まことの浄土のたねとなり、みとなるべしと。いつわらず、へつらわず、実報土のたねとなる信心なり。しかれば、われらは善人にもあらず、賢人にもあらず。賢人というは、かしこくよきひとなり。精進なるこころもなし。懈怠のこころのみにして、うちは、むなしく、いつわり、かざり、へつらうこころのみ、つねにして、まことなるこころなきみなりとしるべしとなり。「斟酌すべし」(唯信鈔)というは、ことのありさまにしたがいて、はからうべしということばなり。 「不簡破戒罪根深」(五会法事讃)というは、もろもろの戒をやぶり、つみふかきひとを、きらわずとなり。このようは、はじめにあらわせり。よくよくみるべし。 「乃至十念 若不生者 不取正覚」(大経)というは、選択本願の文なり。この文のこころは、「乃至十念のみなをとなえんもの、もしわがくににうまれずは、仏にならじ」とちかいたまえる本願なり。「乃至」は、かみ・しもと、おおき・すくなき、ちかき・とおき・ひさしきをも、みなおさむることばなり。多念にとどまるこころをやめ、一念にとどまるこころをとどめんがために、法蔵菩薩の願じまします御ちかいなり。 「非権非実」(唯信鈔)というは、法華宗のおしえなり。浄土真宗のこころにあらず。聖道家のこころなり。かの宗のひとにたずぬべし。 紙面画像を印刷 前のページ p684 次のページ 初版p557・558へ このページの先頭に戻る