巻次 - 694頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 親鸞(五) なにごとよりは、聖教のおしえをもしらず、また、浄土宗のまことのそこをもしらずして、不可思議の放逸無慙のものどものなかに、悪はおもうさまにふるまうべしと、おおせられそうろうなるこそ、かえすがえす、あるべくもそうらわず。きたのこおりにありし、善証坊といいしものに、ついに、あいむつるることなくてやみにしをば、みざりけるにや。 凡夫なればとて、なにごともおもうさまならば、ぬすみをもし、ひとをもころしなんどすべきかは。もと、ぬすみごころあらんものも、極楽をねがい、念仏もうすほどのことになりなば、もとひごうだるこころも、おもいなおしてこそあるべきに、そのしるしもなからんひとびとに、悪くるしからずということ、ゆめゆめあるべからずそうろう。煩悩にくるわされて、おもわざるほかに、すまじきことをもふるまい、いうまじきことをもいい、おもうまじきことをも、おもうにてこそあれ。さわらぬことなればとて、ひとのためにも、はらぐろく、すまじきことをもし、いうまじきことをもいわば、煩悩にくるわされたる義にはあらで、わざと、すまじきことをもせば、かえすがえす、あるまじきことなり。 鹿島・行方のひとびとの、あしからんことをば、いいもとどめ、その辺のひとびとの、ことにひごうだることをば、制したまわばこそ、この辺よりいできたるしるしにてはそうらわめ。ただ、したからんことをばせよ、ふるまいなんども、こころにまかせよといえるとそうろうらん、あさまし 紙面画像を印刷 前のページ p694 次のページ 初版p566へ このページの先頭に戻る