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親鸞
(五) なにごとよりは、聖教のおしえをもしらず、また、浄土宗のまことのそこをもしらずして、不可思議の放逸無慙のものどものなかに、悪はおもうさまにふるまうべしと、おおせられそうろうなるこそ、かえすがえす、あるべくもそうらわず。きたのこおりにありし、善証坊といいしものに、ついに、あいむつるることなくてやみにしをば、みざりけるにや。
凡夫なればとて、なにごともおもうさまならば、ぬすみをもし、ひとをもころしなんどすべきかは。もと、ぬすみごころあらんものも、極楽をねがい、念仏もうすほどのことになりなば、もとひごうだるこころも、おもいなおしてこそあるべきに、そのしるしもなからんひとびとに、悪くるしからずということ、ゆめゆめあるべからずそうろう。煩悩にくるわされて、おもわざるほかに、すまじきことをもふるまい、いうまじきことをもいい、おもうまじきことをも、おもうにてこそあれ。さわらぬことなればとて、ひとのためにも、はらぐろく、すまじきことをもし、いうまじきことをもいわば、煩悩にくるわされたる義にはあらで、わざと、すまじきことをもせば、かえすがえす、あるまじきことなり。
鹿島・行方のひとびとの、あしからんことをば、いいもとどめ、その辺のひとびとの、ことにひごうだることをば、制したまわばこそ、この辺よりいできたるしるしにてはそうらわめ。ただ、したからんことをばせよ、ふるまいなんども、こころにまかせよといえるとそうろうらん、あさまし
