巻次 - 712頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 覚の弥勒とひとしければ、「如来とひとし」(華厳経)とも、諸仏のほめさせたまいたりとこそ、きこえてそうらえ。 また、弥陀の本願を信じそうらいぬるうえには、「義なきを義とす」とこそ、大師聖人(法然)のおおせにてそうらえ。かように義のそうろうらんかぎりは、他力にはあらず、自力なりときこえてそうろう。他力ともうすは、仏智不思議にてそうろうなるときに、煩悩具足の凡夫の、無上覚のさとりをえそうろうなることをば、仏と仏とのみ御はからいなり。さらに行者のはからいにあらずそうろう。しかれば、「義なきを義とす」とそうろうなり。義ともうすことは、自力のひとのはからいをもうすなり。他力には、しかれば、「義なきを義とす」とそうろうなり。このひとびとのおおせのようは、これには、つやつやとしらぬことにてそうらえば、とかくもうすべきにあらずそうろう。 また、「来」の字は、衆生利益のためには、きたるともうす方便なり。さとりをひらきては、かえるともうす。ときにしたがいて、きたるとも、かえるとももうすとみえてそうろう。なにごともなにごとも、またまたもうすべくそうろう。二月二十五日 親鸞慶西の御坊 御返事 紙面画像を印刷 前のページ p712 次のページ 初版p581・582へ このページの先頭に戻る