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覚の弥勒とひとしければ、「如来とひとし」(華厳経)とも、諸仏のほめさせたまいたりとこそ、きこえてそうらえ。
 また、弥陀の本願を信じそうらいぬるうえには、「義なきを義とす」とこそ、大師聖人(法然)のおおせにてそうらえ。かように義のそうろうらんかぎりは、他力にはあらず、自力なりときこえてそうろう。他力ともうすは、仏智不思議にてそうろうなるときに、煩悩具足の凡夫の、無上覚のさとりをえそうろうなることをば、仏と仏とのみ御はからいなり。さらに行者のはからいにあらずそうろう。しかれば、「義なきを義とす」とそうろうなり。義ともうすことは、自力のひとのはからいをもうすなり。他力には、しかれば、「義なきを義とす」とそうろうなり。このひとびとのおおせのようは、これには、つやつやとしらぬことにてそうらえば、とかくもうすべきにあらずそうろう。
 また、「来」の字は、衆生利益のためには、きたるともうす方便なり。さとりをひらきては、かえるともうす。ときにしたがいて、きたるとも、かえるとももうすとみえてそうろう。なにごともなにごとも、またまたもうすべくそうろう。

二月二十五日     親鸞

慶西の御坊 御返事