巻次 - 735頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 末燈鈔本願寺の親鸞大師の御己証 幷びに辺州所々の御消息等の類聚鈔(一) 有念無念 愚禿親鸞曰わく 来迎は諸行往生にあり。自力の行者なるがゆえに。臨終ということは、諸行往生の人にいうべし。いまだ、真実の信心をえざるがゆえなり。また、十悪・五逆の罪人の、はじめて善知識におうて、すすめらるるときにいうことなり。真実信心の行人は、摂取不捨のゆえに、正定聚のくらいに、信心のさだまるとき住す。このゆえに、臨終をまつことなし、来迎をたのむことなし。信心のさだまるときに、往生はさだまるなり。来迎の儀則をまたず。正念というは、本弘誓願の信楽さだまるをいうなり。この信心をうるゆえに、かならず無上涅槃にいたるなり。この信心を一心という。この一心を金剛心という。この金剛心を大菩提心というなり。これすなわち、他力の中の他力なり。 また、正念というにつきて二つあり。一つは、定心の行人の正念、二つには、散心の行人の正念あるべし。この二つの正念は、他力の中の自力の正念なり。定散の善は、諸行往生のこと 紙面画像を印刷 前のページ p735 次のページ 初版p600へ このページの先頭に戻る