巻次 - 739頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 はからいにて往生するよし、ひとびともうされ候いける、すこしもたがわず候うなり。としごろ、おのおのにもうし候いしこと、たがわずこそ候え。かまえて、学生沙汰せさせたまい候わで、往生をとげさせたまい候うべし。 故法然聖人は、「浄土宗のひとは愚者になりて往生す」と候いしことを、たしかにうけたまわり候いしうえに、ものもおぼえぬあさましき人々のまいりたるを御覧じては、「往生必定すべし」とて、えませたまいしを、みまいらせ候いき。ふみざたして、さかさかしきひとのまいりたるをば、「往生はいかがあらんずらん」と、たしかにうけたまわりき。いまにいたるまで、おもいあわせられ候うなり。ひとびとにすかされさせたまわで、御信心たじろかせたまわずして、おのおの御往生候うべきなり。ただし、ひとにすかされたまい候わずとも、信心のさだまらぬひとは、正定聚に住したまわずして、うかれたまいたるひとなり。乗信房にかようにもうしそうろうようを、ひとびとにももうされ候うべし。あなかしこ、あなかしこ。文応元年十一月十三日 善信 八十八歳乗信御房この御消息の正本は、坂東下野国おおうちの庄高田に、これあるなりと云々(七) 往生はなにごともなにごとも────『親鸞聖人御消息集(広本)』(五)末尾と『御消息集(善性本)』(二)の㋺を一通とする。 紙面画像を印刷 前のページ p739 次のページ 初版p603・604へ このページの先頭に戻る