巻次 - 741頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 の法は、聖道八万四千の諸善なり。「不思」というは、浄土の教は不可思議の教法なり。 これらは、かようにしるしもうしたり。よくしれらんひとにたずねもうしたまうべし。また、くわしくはこのふみにてもうすべくも候わず。目もみえず候う。なにごともみなわすれて候ううえに、ひとなどにあきらかにもうすべき身にもあらず候う。よくよく浄土の学生に、といもうしたまうべし。あなかしこ、あなかしこ。閏三月二日 親鸞(九) 御ふみくわしくうけ給わり候いぬ。さては、この御ふしんしかるべしともおぼえず候う。そのゆえは、誓願・名号と申して、かわりたること候わず候う。誓願をはなれたる名号も候わず候う。名号をはなれたる誓願も候わず候う。かく申し候うも、はからいにて候うなり。ただ、誓願を不思議と信じ、又、名号を不思議と一念信じとなえつるうえは、なんじょうわがはからいをいたすべき。ききわけ、しりわくるなんど、わずらわしくは、おおせ候うやらん。これみなひがごとにて候うなり。ただ、不思議と信じつるうえは、とかく御はからいあるべからず候う。おうじょうのごうには、わたくしのはからいはあるまじく候うなり。あなかしこ、あなかしこ。 如来にまかせまいらせおわしますべく候う。あなかしこ、あなかしこ。五月五日 親鸞きょうようの御房へ 紙面画像を印刷 前のページ p741 次のページ 初版p605へ このページの先頭に戻る