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しからざるなり。弥陀仏日の照触によりて、無明の長夜、やみすでにはれて、安養往生の業因たる名号の宝珠をばうるなりとしるべし。」
(5)一 わたくしにいわく、「根機つたなしとて、卑下すべからず。仏に下根をすくう大悲あり。行業おろそかなりとて、うたがうべからず。『経』(大経)に「乃至一念」の文あり。仏語に虚妄なし。本願あにあやまりあらんや。名号を正定業となづくることは、仏の不思議力をたもてば、往生の業、まさしくさだまるゆえなり。もし弥陀の名願力を称念すとも、往生なお不定ならば、正定業とはなづくべからず。われすでに本願の名号を持念す。往生の業、すでに成弁することをよろこぶべし。かるがゆえに、臨終にふたたび名号をとなえずとも、往生をとぐべきこと、もちろんなり。一切衆生のありさま、過去の業因まちまちなり。また、死の縁、無量なり。病におかされて死するものあり。剣にあたりて死するものあり。水におぼれて死するものあり。火にやけて死するものあり。乃至、寝死するものあり。酒狂して死するたぐいあり。これみな先世の業因なり。さらにのがるべきにあらず。かくのごときの死期にいたりて、一旦の妄心をおこさんほか、いかでか凡夫のならい、名号称念の正念もおこり、往生浄土の願心もあらんや。平生のとき期するところの約束、もしたがわば、往生ののぞみむなしかるべし。しかれば、平生の一念によりて往生の得否はさだまるものなり。平生のとき不定のおもいに住せば、かなうべからず。平生のとき善知識のことばのしたに、帰命の一念を発得せば、そのときをもって娑婆のおわり、臨終とおもうべし。抑も南無