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は帰命、帰命のこころは往生のためなれば、またこれ発願なり。この心あまねく万行万善をして、浄土の業因となせば、また回向の義あり。この能帰の心、所帰の仏智に相応するとき、かの仏の因位の万行・果地の万徳、ことごとくに名号のなかに摂在して、十方衆生の往生の行体となれば、「阿弥陀仏即是其行」(玄義分)と釈したまえり。また殺生罪をつくるとき、地獄の定業をむすぶも、臨終にかさねてつくらざれども、平生の業にひかれて地獄にかならずおつべし。念仏もまたかくのごとし。本願を信じ名号をとなうれば、その時分にあたりて、かならず往生はさだまるなりとしるべし。」

本云
嘉暦元歳 丙寅 九月五日、拭老眼染禿筆、是偏為利益衆生也。  釈宗昭 五十七

先年如此予染筆、与飛驒願智坊訖。而今年暦応三歳 庚辰 十月十五日、随身此書上洛。中一日逗留、十七日下国。仍於燈下馳老筆、書留之。為利益也。  宗昭 七十一

永享二年九月七日、京都自本所下給聖教也。他所不可遣。  奉周観安置之也。