巻次 - 792頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 は帰命、帰命のこころは往生のためなれば、またこれ発願なり。この心あまねく万行万善をして、浄土の業因となせば、また回向の義あり。この能帰の心、所帰の仏智に相応するとき、かの仏の因位の万行・果地の万徳、ことごとくに名号のなかに摂在して、十方衆生の往生の行体となれば、「阿弥陀仏即是其行」(玄義分)と釈したまえり。また殺生罪をつくるとき、地獄の定業をむすぶも、臨終にかさねてつくらざれども、平生の業にひかれて地獄にかならずおつべし。念仏もまたかくのごとし。本願を信じ名号をとなうれば、その時分にあたりて、かならず往生はさだまるなりとしるべし。」本云嘉暦元歳 丙寅 九月五日、拭老眼染禿筆、是偏為利益衆生也。 釈宗昭 五十七先年如此予染筆、与飛驒願智坊訖。而今年暦応三歳 庚辰 十月十五日、随身此書上洛。中一日逗留、十七日下国。仍於燈下馳老筆、書留之。為利益也。 宗昭 七十一永享二年九月七日、京都自本所下給聖教也。他所不可遣。 奉周観安置之也。 紙面画像を印刷 前のページ p792 次のページ 初版p647・648へ このページの先頭に戻る