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べからず。無明を破せずは、また出離その期あるべからず。他力をもって、無明を破するがゆえに、日いでてのち、夜あくというなり。」これさきの光明名号の義に、こころおなじといえども、自力・他力を分別せられんために、法譬を合して、おおせごとありきと云々
(4)一 善悪二業の事。
 上人 親鸞 おおせにのたまわく、「某はまったく善もほしからず、又悪もおそれなし。善のほしからざるゆえは、弥陀の本願を信受するにまされる善なきがゆえに。悪のおそれなきというは、弥陀の本願をさまたぐる悪なきがゆえに。しかるに、世の人みなおもえらく、善根を具足せずんば、たとい念仏すというとも往生すべからずと。また、たとい念仏すというとも悪業深重ならば往生すべからずと。このおもい、ともにはなはだしかるべからず。もし悪業をこころにまかせてとどめ、善根をおもいのままにそなえて、生死を出離し浄土に往生すべくは、あながちに本願を信知せずとも、なにの不足かあらん。そのこといずれも、こころにまかせざるによりて、悪業をばおそれながら、すなわちおこし、善根をばあらませども、うることあたわざる凡夫なり。かかるあさましき三毒具足の悪機として、われと出離にみちたえたる機を摂取したまわんための五劫思惟の本願なるがゆえに、ただあおぎて仏智を信受するにしかず。しかるに、善機の念仏するをば、決定往生とおもい、悪人の念仏するをば、往生不定とうたがう。本願の規模、ここに失し、自身の悪機たることをしらざるになる。おおよそ、凡夫引接の無縁の慈悲をもって、修因感果したまえる別願所成の報仏報土