巻次
850頁
表示設定
ブックマーク
表示設定
文字サイズ
書体
  • ゴシック
  • 明朝
カラー
テキスト情報
本文
画像情報
画像情報
本文

称名必得生 依仏本願故」といえり。この文のこころは、「すみやかに生死をはなれんとおもわば、二種の勝法のなかに、しばらく聖道門をさしおきて、えらんで浄土門にいれ。浄土門にいらんとおもわば、正雑二行のなかに、しばらくもろもろの雑行をなげすてて、えらんで正行に帰すべし。正行を修せんとおもわば、正助二業のなかに、なお助業をかたわらにして、えらんで正定をもっぱらにすべし。正定の業というは、すなわちこれ仏名を称するなり。みなを称すればかならずうまるることをう。仏の本願によるがゆえに」となり。すでに南無阿弥陀仏をもって、正定の業となづく。「正定の業」というは、まさしくさだまるたねというこころなり。これすなわち往生のまさしくさだまるたねは念仏の一行なりとなり。自余の一切の行は、往生のためにさだまれるたねにあらずと、きこえたり。しかれば、決定往生のこころざしあらんひとは、念仏の一行をもっぱらにして、専修専念・一向一心なるべきこと、祖師の解釈、はなはだあきらかなるものをや。
 しかるにこのごろ浄土の一宗において、面々に義をたて行を論ずるいえいえ、みなかの黒谷のながれにあらずということなし。しかれども解行みなおなじからず。おのおの真仮をあらそい、たがいに邪正を論ず。まことに是非をわきまえがたしといえども、つらつらその正意をうかがうに、もろもろの雑行をゆるし諸行の往生を談ずる義、とおくは善導和尚の解釈にそむき、ちかくは源空聖人の本意にかないがたきものをや。しかるにわが親鸞聖人の一義は、凡夫のまめやかに