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いて、信心をうるとき正定のくらいに住する義をひき、釈したまえり。「すなわち」といえるは、ときをうつさず、念をへだてざる義なり。
 また、おなじき第三(信巻)に、領解の心中をのべたまうとして、「愛欲の広海に沈没し、名利の太山に迷惑して、定聚のかずにいることをよろこばず、真証の証にちかづくことをたのしまず」といえり。これすなわち、定聚のかずにいることをば、現生の益なりとえて、これをよろこばずと、わがこころをはじしめ、真証のさとりをば、生後の果なりとえて、これにちかづくことをたのしまずと、かなしみたまうなり。「定聚」といえるは、すなわち不退のくらい、また必定の義なり。「真証のさとり」といえるは、これ滅度なり。また「常楽」ともいう、「法性」ともいうなり。
 また、おなじき第四(証巻)に、第十一の願によりて真実の証をあらわすに、「煩悩成就の凡夫、生死罪濁の群萌、往相回向の心行をうれば、すなわちのときに大乗正定聚のかずにいる。正定聚に住するがゆえに、かならず滅度にいたる。かならず滅度にいたるは、すなわちこれ常楽なり。常楽はすなわちこれ畢竟寂滅なり。寂滅はすなわちこれ無上涅槃なり。無上涅槃はすなわちこれ無為法身なり。無為法身はすなわちこれ実相なり。実相はすなわちこれ真如なり。真如はすなわちこれ一如なり」といえる、すなわちこのこころなり。聖人の解了、常途の所談におなじからず。甚深の教義、よくこれをおもうべし。
 問うていわく、『観経』の下輩の機をいうに、みな臨終の一念・十念によりて往生をうとみえ