巻次 上末 885頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 とがめていわく、「善信房の、聖人の御信心とわが信心とひとしと申さるる事いわれなし。いかでかひとしかるべき」と。善信申して云わく、「などかひとしと申さざるべきや。そのゆえは、深智博覧にひとしからんとも申さばこそ、まことにおおけなくもあらめ。往生の信心にいたりては、一たび他力信心のことわりをうけ給わりしよりこのかた、まったくわたくしなし。しかれば、聖人(法然)の御信心も、他力よりたまわらせたまう。善信が信心も他力なり。故にひとしくしてかわるところなしと申すなり」と申し侍りしところに、大師聖人(同)まさしく仰せられてのたまわく、「信心のかわると申すは、自力の信にとりての事なり。すなわち、智恵各別なるがゆえに信又各別なり。他力の信心は、善悪の凡夫、ともに仏のかたよりたまわる信心なれば、源空が信心も、善信房の信心も、更にかわるべからず。ただひとつなり。わがかしこくて信ずるにあらず。信心のかわりおうておわしまさん人々は、わがまいらん浄土へは、よもまいらせたまわじ。よくよくこころえらるべき事なり」と云々 ここに、めんめんしたをまき、くちをとじてやみにけり。」(絵) 御弟子入西房、聖人 親鸞 の真影をうつしたてまつらんとおもうこころざしありて、日来をふるところに、聖人そのこころざしあることを鑑みて、おおせられてのたまわく、「定禅法橋 七条辺に居住 にうつさしむべし」と。入西房、鑑察のむねを随喜して、すなわちかの法橋を召請す。定禅左右なくまいりぬ。すなわち、尊顔にむかいたてまつりて申していわく、「去夜、奇 紙面画像を印刷 前のページ p885 次のページ 初版p729・730へ このページの先頭に戻る