上末
                        886頁
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                特の霊夢をなん感ずるところなり。その夢の中に拝したてまつるところの聖僧の面像、いまむかいたてまつる容貌、すこしもたがうところなし」といいて、たちまちに随喜感歎の色ふかくして、みずからその夢をかたる。「貴僧二人来入す。一人の僧のたまわく、「この化僧の真影をうつさしめんとおもうこころざしあり。ねがわくは禅下、筆をくだすべし」と。定禅問うていわく、「かの化僧たれ人ぞや。」くだんの僧いわく、「善光寺の本願の御房これなり」と。ここに定禅たなごころをあわせ、ひざまずきて夢のうちにおもう様、さては生身の弥陀如来にこそと、身の毛いよだちて、恭敬尊重をいたす。また「御ぐしばかりをうつされんにたんぬべし」と云々 かくのごとく問答往復して、夢さめおわりぬ。しかるに、いまこの貴坊にまいりて、みたてまつる尊容、夢の中の聖僧にすこしもたがわず」とて、随喜のあまり涙をながす。「しかれば夢にまかすべし」とて、いまも御ぐしばかりをうつしたてまつりけり。夢想は仁治三年九月二十日の夜なり。
 つらつらこの奇瑞をおもうに、聖人、弥陀如来の来現ということ炳焉なり。しかればすなわち、弘通したまう教行、おそらくは弥陀の直説といいつべし。あきらかに無漏の恵燈をかかげて、とおく濁世の迷闇をはらし、あまねく甘露の法雨をそそきて、はるかに枯渇の凡悪をうるおさんとなり。あおぐべし、信ずべし。
(絵)
