巻次 上末 | 下本 887頁 表示設定 ブックマーク 表示設定 文字サイズ あ あ あ 書体 ゴシック 明朝 カラー あ あ あ テキスト情報 本文 画像情報 画像情報 本文 康永二歳 癸未 十月中旬比、依発願終画図之功畢。而間頽齢覃八旬算、両眼朦朧、雖然憖厥詞、如形染紫毫之処、如向闇夜、不弁筆点。仍散々無極、後見招恥辱者也而已。大和尚位宗昭 七十四 画工康楽寺沙弥円寂 本願寺聖人伝絵 下本 浄土宗興行によりて、聖道門廃退す。是れ空師の所為なりとて、忽ちに罪科せらるべきよし、南北の碩才、憤り申しけり。『顕化身土文類の六』に云わく、「竊かに以みれば、聖道の諸教は行証久しく廃れ、浄土の真宗は証道今盛なり。然るに、諸寺の釈門、教に昏くして真仮の門戸を知らず、洛都の儒林、行に迷うて邪正の道路を弁うること無し。斯を以て、興福寺の学徒、太上天皇 諱尊成、後鳥羽院と号す。 今上 諱為仁、土御門院と号す。 聖暦承元丁卯の歳仲春上旬の候に奏達す。主上臣下、法に背き義に違し、忿を成し怨を結ぶ。茲れに因って、真宗興隆の太祖源空法師、幷びに門徒数輩、罪科を考えず、猥りがわしく死罪に坐す。或いは僧儀を改め姓名を賜って遠流に処す。予は其の一なり。爾れば已に僧に非ず俗に非ず。是の故に「禿」の字を以て姓とす。空師、幷びに弟子等、諸方の辺州に坐して五年の居緒を経たり」と云々 紙面画像を印刷 前のページ p887 次のページ 初版p731・732へ このページの先頭に戻る