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ちかき所のならい、巫どもの、終夜、あそびし侍るに、おきなもまじわりつるに、いまなんいささかよりい侍ると思うほどに、夢にもあらず、うつつにもあらで、権現仰せられて云わく、「只今、われ尊敬をいたすべき客人、此の路を過ぎ給うべき事あり。かならず慇懃の忠節を抽んでて、殊に丁寧の饗応を儲くべし」と云々 示現いまだ覚めおわらざるに、貴僧忽爾として影向し給えり。何ぞただ人にましまさん。神勅、是れ炳焉なり。感応、最も恭敬す」といいて、尊重屈請したてまつりて、さまざまに飯食を粧い、色々に珍味を調えけり。

(絵)

 聖人、故郷に帰りて往事をおもうに、年々歳々夢のごとし、幻のごとし。長安・洛陽の栖も跡をとどむるに嬾しとて、扶風馮翊ところどころに移住したまいき。五条西洞院わたり、一の勝地なりとて、しばらく居をしめたまう。今比、いにしえ、口決を伝え、面受を遂げし門徒等、おのおの好を慕い、路を尋ねて、参集したまいけり。
 其の比、常陸国那荷西郡大部郷に、平太郎なにがしという庶民あり。聖人の御訓を信じて、専ら弐なかりき。而るに、或時、件の平太郎、所務に駆られて熊野に詣すべしとて、事のよしをたずね申さんために、聖人へまいりたるに、仰せられて云わく、「夫れ聖教万差なり。いずれも機に相応すれば巨益あり。但し、末法の今の時、聖道の修行におきては成ずべからず。すなわち「我末法時中 億々衆生 起行修道 未有一人得者」(安楽集)といい、「唯有浄土一門可通